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大津地方裁判所 昭和39年(わ)161号 判決

被告人 西元知之

昭一六・一・一生 自動車運転助手

主文

被告人を懲役八年に処する。

未決勾留日数中九〇日を右本刑に算入する。

理由

(罪となる事実)

被告人は

第一、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和三九年五月九日午前一一時すぎころ、滋賀県犬上郡多賀町多賀一九二番地西村建設株式会社多賀出張所から、同県蒲生郡竜王町大字鏡一、六七三番地先国道上まで、バラセメント運搬用大型四輪特殊自動車を運転し、

第二、前記日時ころ、前記自動車を運転し、時速約四四、五キロメートルで国道八号線上を西進し、同日午前一一時二五分ころ、前記竜王町大字鏡一、六七三番地先手前約二〇〇メートルの地点にさしかかつたが、同所は滋賀県公安委員会が車両の最高速度を四〇キロメートル毎時と定め且つ追越し禁止の指定をなし、その旨の道路標識および道路標示がしてあるのにかかわらず、これを無視して時速を約四七キロメートルに早め、自車と同一方向に進行中の西村喜代三の運転する自動三輪貨物自動車を追越しセンターライン上に進出したところその際約六五メートル前方の道路上において制服を着用し、交通取締中の近江八幡警察署勤務巡査南井貞一(四七年)が被告人の前記追越し禁止違反を現認し、センターライン附近に進出して手をあげて停車を命じているのを発見したが、前記のごとき無資格運転や追越し禁止違反等の道路交通法違反の発覚逮捕をおそれ、逃走したい一心からそのままの進行時速および進路を維持して同巡査めがけて突進すれば、同巡査はその勢いにおそれて避退しそのすきにうまく逃走できるかも知れないし、場合によつては被告人の自動車が停車するものと期待して避退せずその結査同巡査に激突し、同巡査を死亡するに至らしめることがあるかも知れないがそれもまたやむを得ないとの考えのもとに、あえて同一速度と進路を維持して同巡査めがけてばく進し、遂に同巡査の腰部に自車の前部バンバー右端等を激突させてその場に転倒させたうえ、右前後車輪で同人の腰部両下肢を轢過し、よつて頭部打撲、骨盤、両下肢粉砕によりその場で即死させるとともに同巡査の前記職務の執行を妨害し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(予備的訴因により殺人罪を認定した理由)

被告人が南井巡査を死に至らしめた行為につき、主位的訴因たる傷害致死罪をとらず殺人罪と認定した理由はつぎのとおりである。

前掲諸証拠によると、被告人は衝突個所の約六五メートル手前で制服を着用し手を振つて自分に停車を命じている南井巡査を発見し、同巡査の手前で停車するか、逃走するにしてもハンドルを左に切つて左車線に入り同巡査を避けて逃走しうるだけの道路幅(幅員九・五メートル)は充分あるのにもかかわらず、ブレーキもふまず、ハンドルも左に切ることなく同巡査めがけてセンターラインより右側に車体をはみ出させたまま、時速約四七キロメートルの速度のまゝ突進して激突し、同巡査を轢過したことを確認して始めてブレーキをかけハンドルを左に切つて停車したことが認められる。

被告人はこの時の心境に関し、昭和三九年五月一五日付司法警察員に対する供述調書では、「私はその警察官を見た時にしまつたこれはパクられるということが一番に頭に来ましたし次によし逃げてやろうということパクられたら免許証を貰うことができないということを思うと頭がカンとして来ました。そのようなことで私はハンドルを左に切ることもなくまつすぐに突つ込んでゆきますと警察官はなおセンターラインに近寄つて私の方に向かつてどちらの手であつたか忘れましたがとも角手を上げて横に振るようにして私の車に止まれという合図をして居りますので私はカツとなつてよしこのまま突つ込んで行つてやろうそしたら警察官は逃げるだろう。然し逃げおくれたなれば当然自動車は警察官にぶち当たるかも知れん。当たれば警察官は大きな傷を受けるか又は死ぬかも知れんとは思いましたが、私はもう無我夢中になつて真直ぐに突つ込んだのです。」と述べ、同月二六日の検察官に対する供述調書では「七〇メートル近くも距離があり白昼のことですから巡査はかぶせてゆけば必ず逃げるだろうと思いました。それだけです。そのような無茶をすれば、巡査も人間ですから逃げそこねることはあり、若し逃げそこねたら轢き殺さないまでも大怪我をさせることは分かつていましたが、その先を巡査をどうしようという気もなく、ただ自分のことだけで逃げるに、せい一杯で相手の立場を考えなかつた、それが正直な気持です。」と述べ、当公廷では裁判長の「危いとは思わなかつたか」との問に対し「危いとは思いましたが逃げたい一心でしたので」と答え、検察官の「危いと思つた……というがどうなると思つたか」の問に対し「ひつかかるかも知れんと思いました。」と述べているのである。

南井巡査は制服を着用して居り被告人の追越違反の事実を現認して少なくとも被告人の自動車と約六五メートル以上の距離で道路中央部(道路幅員九・五メートル)に出て被告人に向かつて手をあげて停車を命じたのであるから同巡査は当然被告人がこれに従い速度を減じ同巡査を避けて同巡査の附近に停車することを期待していて被告人が減速もせず同巡査を避けようともせず却つて同巡査めがけて突つ込んで来ることは殆ど予想しないであろうということ並びにこのような立場に居る同巡査めがけて時速約四七キロメートルの速度で自動車を突つ込んだ場合同巡査が予想もしない危険から身を避けようとして避け損じ自動車と衝突することがあろうということはいずれも通常誰でも予想できることであるし本件の如く約一〇トンのセメントを積載したバラセメント運搬用大型四輪特殊自動車を時速約四七キロメートルで人体に衝突せしめた場合相手に与えるのは必然的に瀕死の重傷乃至死の結果であることは又経験則上明らかなことであるから前記の被告人の行動と供述を考え合わせると、被告人は意識上あるいは潜在意識下に自車が同巡査に衝突し、重傷を与えるかまたは死に至す危険性を充分認識しつつも、逃走したい一心から同巡査の生命身体に対する危険を顧慮することなく、あえて同巡査めがけて自車を突進せしめたこと、従つて同巡査を殺害するにつき未必の故意があつたことを認めるに十分である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は道路交通法第六四条、第一一八条第一項第一号に、第二の所為中殺人の点は刑法第一九九条に、公務執行妨害の点は同法第九五条第一項に各該当するところ、殺人と公務執行妨害は一個の行為で数個の罪名にふれる場合であるから同法第五四条第一項前段第一〇条により重い殺人罪の刑をもつて処断することとし、これと道路交通法違反の罪とは刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるから、いずれも有期懲役刑を選択のうえ同法第四七条、第一〇条により重い殺人罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で処断することとなるが、飜つて犯情について考えてみると、被告人は、無免許で最大積載量を超える一〇トンのセメントを積んだバラセメント運搬用大型四輪特殊自動車を運転し、追越し禁止区間で、制限速度を超過して先行車を追越すという全く無法無暴の運転をした挙句、単に自己の逮捕を免れ非行を隠蔽せんとの利己的な動機から、忠実に職務を執行せんとして自己に停車を命じている南井巡査に、まともに自車を衝突せしめた結果幾度も表彰を受けたことがある有能にして誠実な、家庭においては善良にして愛情深い夫であり二児の父親である同巡査を無残にも非業の死に致し、家族を一瞬にして悲嘆のどん底につき落し、その将来を暗たんたらしめた罪は甚だ重い。以上の犯情から被告人を懲役八年に処するのを相当と認め、刑法第二一条により未決勾留日数中九〇日を右本刑に算入することとして主文のとおり判決する。

(裁判官 江島孝 中村三郎 北沢和範)

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